
あなたがスポーツや楽器など、何か新しいことを習い始めるとしましょう。
学習学のプロセスで言うと、上達に有効なのは次の流れになります。
しかし、上に書いた方法でスムーズに上達していくことは、珍しいです。
一般的な人の場合、新しいことを身につけるには、まず心の声を静めて集中力を取り戻させる必要があります。
教育者の友人が言うには、その方法を情操教育といって、まずは心に寄り添ってあげるのだそうです。
情操教育の例
あなたは小学校の先生。
逆上がりが出来なくって、泣いている生徒がいたとします。
その時、すぐにやり方を教えるのは、素人のやり方なのだと。
心の声を静めるプロのやり方
「逆上がりは難しいからできなくって当然だよね」
から、入るそうです(相当親切な人じゃないと、他人にこんな態度は取らない)。
まずは、泣いている生徒の後ろめたさを解消するのが先決なのでしょう。
逆上がりが難しいのは客観的な事実なので、泣いている生徒は
「始めたばかりだから、できないのは当たり前なのか」
と、落ち着きを取り戻す仕組みです。
気持ちを無視して練習させるのは非効率
泣いている生徒に
「とにかく頑張れ、気合が足りない」
と、根性論でゴリ押ししようとする先生は、今どきいないと思います。
根性論でなく冷静に手順を説明しても、心のわだかまりが解消されていないのであれば、無駄なのです。
まず逆上がりができない惨めな自分のイメージを払拭させたほうが、ずっと効率が良い。というのは、私達の経験からも理解しやすいでしょう。
学ぶ前に精神勝利する
インナーゲームという、テニス界で有名な練習方法があります。
- 自分に口うるさく指示を出すものをセルフ1
- 実際にプレイするのがセルフ2
先程の逆上がりの例なら
- 逆上がりが出来ない自分を責めるセルフ1
- 実際に逆上がりの練習をするのがセルフ2
となります。
セルフ1の声を静めて、セルフ2にプレイさせるのがインナーゲームの考え方です。
精神勝利法や、情操教育と似ていますね。
過去、思ったよりもできたこと1
誰にでも思ったよりスムーズにできた出来事はあると思います。
僕の体験を1つ上げさせてもらいます。
中学生の時の自習の時間、プリントの裏に書いた2Pの漫画は上手にできました。
一般的に漫画を描く行為は特別難しいのですが、人に評価されることや絵の出来は気にしないで書いただけなので、非常にスムーズだったことを覚えています。
過去、思ったよりもできたこと2
体育の時間のバク転も上手にできました。
単純に体操マンガの知識があったので、怪我をしない練習方法を知っていただけです。
それにみんなは怖がって練習しないものですから、「練習しているだけで偉い」みたいな空気がありました。
やはり、精神的に勝利していたわけです。
全く上手くいかなかったこと
今書いている記事のような執筆活動は、全然スムーズにいきませんでした。
スポーツの世界では、「自分のプレイが自分自身を表している」といったような哲学的考えはNGとされています。
集中力が必要な以上、文章の世界も同じはずですが、気持ちを割り切るのは難しかったのです。
心のゴミを取り除く
「部屋が汚い人は心も汚い」という乱暴な言葉があります。
「部屋が散らかっている人は心も散らかっている」くらいなら納得できます。
学習において、部屋の掃除よりもずっと、心の掃除の優先順位はかなり高いようです。
瞑想もインナーゲームも心の掃除
瞑想もインナーゲームも、感情の操り人形にならないようにすることを目的としています。
「集中力が上手く発揮できていれば、物事は順調に進んでいくはずだ」という考え方ですね。
楽観的なほうが悲観的よりも良い
- 車にひかれると思っている人は、ひかれる可能性が低い。
- 車にひかれないと思っている人は、ひかれる可能性が少しだけ高い。
しかし前者は疲れます。
人間は1つのことにしか注意力を払えないので、起こる可能性が低いことは、深く考えないほうが効率的なのです。
終わりに
情操教育、心理的安全性、インナーゲーム、精神勝利法など色々な名前がついていますが、どれも目的は同じ。
自分を責める心の声を静めることを、目的としています。
言い訳や自己弁護を用意してから物事を始める、この後ろ向きの作戦、場合によってはかなり有効であるようです。