厚生労働省にある、簡易抑うつ症状尺度(QIDS -Jをしたら0点でした。
厚生労働省ホームページ 簡易抑うつ症状尺度(QIDS -J)
21~27点が極めて重度のうつ病ということなので、つまり健康そのもの。
というか0点という数値は尋常じゃない、何も考えてないか悟りを得ているかのどちらかだろう。
もしくは宝くじが当たったとかか。
幼い頃の僕はいつも精神が穏やかじゃなかったし、家族含めて周りは人間は控えめに言ってゴミだった。
自分がいつも怒ったり悲しんだりしているのが酷く損だと考えていたので、大きくなってからは様々なことを学んできた。
しかし念願叶って実際に心の平穏を得てみると、思っていたのとどうも違う。
ひとつ例をあげると、僕は全く怒らない。
当たり前だけど癇癪(かんしゃく)を起こさない人間は付き合いやすい、突然攻撃を仕掛けたりしてこないからだ。
だけど怒らないという特性は、興奮もしないとなる。
少しかっこいい表現をすると「気分の高揚がない」。
穏やかさは、コミュニケーションや対戦ゲームといった場面では力を発揮するが、文章を書くという場面で全然役にたってない気がしてならない。
多感な人のほうが、やる気も生産性も高い気がしないかい?
実際そうらしい、文章を書くという行為ならなおさらだ。
多分それが、簡易抑うつ症状尺度で0点であることに違和感を感じた原因だろう。
本来は毒になることが、特定の状況では強みになること。
ゴータム・ムクンダという人はそれを増強装置(intensifier)と名付けた。
怒りという感情、普段の生活の大半の場面で毒だからね。
インテンシファイア
授業中、教室に武器を持った暴漢が入ってきて、それを自分が華麗に制圧する。
そんな妄想をしたことがないだろうか?
僕は2回くらいある。
また、休日に家に1人でいる時。
水着の女の子が突然遊びに来てくれないかな、そう考えたことはないだろうか?
僕は5回くらいある。
自分は全然そういった妄想をしなかったという話だ。
何故こんな話をするのかというと、人間の脳は妄想と現実をあまり区別できないらしい。
すなわち妄想ばかりしていると、それが手に入ったと思ってしまい行動を起こさなくなる。(引き寄せの法則は逆効果)
女性と仲良くなるためにはそのような妄想はあまりしないほうが良い、という一般的な意見は意外と的を得ているようだ。
しかし先程あげた妄想は、異世界小説のプロット(物語の筋)を考えているとも言える。
「これを考えると、気持ちよくなる」そういった引き出し、多ければ多いほど異世界小説は書きやすいとは思わないかい?
僕が異世界小説を書く場合は、まずは書籍化した「なろう小説」を短い要約に分けて細かく分析し、そこから書き始める。
1作品につき100~300くらいの要約になるのかな、とりあえず材料集めから始めることになるだろう。
一方、日頃からピンチの女性を救いまくる妄想をしている男性は、すでに大量の引き出しがあるのでいきなり書き始めることができる。
生まれながらの小説家というのは言い過ぎかもしれないが、かなりの適正があることは間違いない。
協調性が高すぎる場合
遅刻する人というのは、協調性がない。
他人よりも自分の都合を優先する。
協調性がない人は、寝坊したくせにフルーツグラノーラを食べてから家を出ようとする。
逆に協調性がある人は、寝癖もなおさず歯も磨かず家を出る。(そもそも寝坊自体少ない)
内容が妙に具体的なのは、僕に協調性が欠けているからだ。
最近気づいたんだけど、協調性がありすぎる人というのは人との会話が苦手である事が多い。
よく観察すると、彼らは相手が求めていそうな返事をしてしまうという共通点があるようだ。
会話していて不快にはならないかもしれないが、その人自身が欠けているのであれば特別楽しくはなりにくい。
そりゃ相手の返答にYESとしか答えない人よりも、相手の興味なさそうなことでも一方的に語るオタクのほうが、人と仲良くなれる可能性は高いからね。
世間一般では協調性が大事と言われるけど、一長一短。
早寝すれば遅刻はしないけど、雑談が苦手なのは人間関係ハンデがきついように思える。
協調性が高いタイプ、確かに学校生活は向いているんだけどね。
終わりに
増強装置。
すなわち自分の特性が強みか欠点かというのは、環境次第だという話。
逆にインテンシファイアという概念を知らなければ、良かれと思って悪癖を矯正した結果「彼は強さを願ったが、それを活かす場所を願い損ねた」というような皮肉な結果になる可能性は高い。
ところで、僕はブログを書いたとSNSで宣伝する行為、何度やっても抵抗があって本当に嫌なのである。
一向に慣れるきざしがない。
しかしインテンシファイア視点で考えると、これはむしろ治さないほうが良さそうだ。
悩みが1つ、解決してしまった。