厳しい、甘い、自分、他人。
この四つのキーワードを使って、理想的な人物像を作りなさい。
そういう問題があったとするならば、僕なら「あの人は他人にはとても甘いのに、自分にはとても厳しい人だ」といった感じでしょうか。
他人に甘く自分に厳しい、これはまさに理想的です。
なぜならば逆の人間は最悪だから、簡単でしょ?
ですが意図的に、他人になるべく優しくして、自分にはなるべく厳しくする。
というのを意識していない限り、人間はどちらか一方に偏った考え方をしています。
その結果どのようになるかというと、周りから見て「自分に甘く他人に厳しい」という人が大量にいるという世の中になっています。
僕も以前はそうでした。
本日は、「よかれと思って自分に厳しくしているのに、それが最悪の結果を呼んでしまう」というありがちな問題について考えてみましょう。
なぜ、自分に厳しくすると最悪な結果になってしまうのか?
結論を言うと罪悪感を感じるからです。
それは本人のやる気や意志力を奪ってしまうものだから。
自己批判はうつ病のソレでしょう?
特別な職業とかでもない限り、食べ過ぎを気にする男性は太っている人だけです。(女性はわかりません)
普通の男性が「食べ過ぎた」と言う場合は「食べ過ぎて超眠いw」くらいの意味合いしかありません。
- 太っている人は物を口にするたびに罪悪感を感じる
- 罪悪感を感じる=やる気や意志力を消耗する
- なのでまた食べ過ぎてしまう
- 以下繰り返し
そういう人というのは、僕が物を食べるときに「食べすぎだ」とか「いつも物を食べることばかり考えている」などと、たわけたことを言ってきます。
ああ、すいませんこれは僕の母親の話でしたw
普通の人は物を食べることについて、いちいち何も考えてないから、精神力を使わないし食べ過ぎて罪悪感を感じることもないという話でした。
自分に厳しいと他人に厳しくなるのは、人間の考え方というのは癖だからです。
ポジティブな人というのは物事の良い点にばかり注目します、もちろん対象が何に変わっても引き続き同じ考え方をするでしょう。
例を上げれば、人を見る時に加点方式であったりします。
ポジティブな人が、特定の物事に対してだけ非常にネガティブであったりするというのもありますが、それは例外というヤツです。
同じように自分に厳しい人は、他人に対しても厳しくなる。
でも自分に厳しいと、結果として逆のことが起こるために、周りからは「自分にだけ甘く、他人にだけ厳しい」と見られてしまうようになる。
悲しいことですね。
逆に他人に対して優しくするという行為は、自分に対しても優しくなるということでしょう。
情けは人の為ならずという言葉の意味がより一層深く理解できた気がします。
さいごに
僕も以前は自分に厳しくしようとするあまり何もできない。
結果、他人にだけ厳しくなるという人間の典型でした。
親しい友人や家族にすら、厳しかった気がします。
今や僕の周りの人は、僕を一言で表すならば「寛容」であると言うが多いでしょう。
ずばり他人に対して寛容な原因は、自分にも寛容であるからです。
自分を責めるのをやめて許すようになったら、周りの人どころか、すれ違った他人に対しても優しくできるようになりました。
ブログを更新し続けていられるのも、夜早く寝られているのも、もしかしたらそれが原因かもしれません。
やる気や意志力を発揮するには、まずは自分に甘くすることが大事。
(ところで自分を大切にするという表現は、なんであんなにインチキ臭いのでしょうか?保身みたいなものを感じるからでしょうかね?とても不思議です)