新しいことに挑戦できない、もしくは挑戦しても全然上達しない、可能性を発揮できないという人は硬直マインドセットが原因です。
少なくとも動き出せない原因の大部分を占めていることは確実でしょう。
マインドセットというのは、スタンフォード大学心理学教授のキャロル・S・ドゥエックが提唱した説で、人は大雑把に分けて次のような2種類の人間がいるという説。
2つに分けているのは話をわかりやすくするためで、大体の人は半々、さらに分野ごとにマインドセットが違う(2つに分けると理解しやすいのは、スプリッティングっていう人間の習性)。
- 人間の能力は生まれた時から決まっていて変わらないと信じている人のこと、これを硬直マインドセット(fixed mindset)の人と呼ぶ
- 反対に、人間の能力は努力しだいだと信じる人のことを、しなやかマインドセット(growth mindset)の人と呼ぶ
しなやかマインドセットのほうがお得だし、今どき硬直マインドセットの人なんて中々いないような気がしますね。
僕自身も「自分はしなやかで硬直などしていない」と思っていたのですが、次に上げる硬直マインドセットの人の特徴に結構当てはまっている部分がありました。
硬直マインドセットの反応
- ひたすら有能だと思われたい
- なかなか新しいことに挑戦できない
- 壁にぶつかったらあきらめる
- 努力を忌まわしいと感じる
- 批判を受けるとすぐに動揺してしまう
- 他人の成功を脅威に感じる
こういった物語の小者のような反応をしてしまうと、当たり前ですが動けなくなります。
ちなみにブログや論文を書く人は大体1が当てはまるらしいですが、僕もバッチリ当てはまっていました。
会話中に専門用語を使いたがるオタクに近い思考ですね。
生まれつきの頭の良さを褒められると、硬直したマインドセットになりやすいと言われています。
次は反対のしなやかマインドセットはどういう反応をするのか見ていきましょう。
しなやかマインドセットの反応
- ひたすら学び続けたい
- 新しいことにチャレンジしたい
- 壁にぶつかっても粘る
- 努力は欠かせないと思っている
- 批判から学べる
- 他人の成功から学びを得れる
「人間こうありたいものだ」と思わせるような特徴ばかりですね。
硬直マインドセットと同じで、1つも当てはまらないという人はいないんじゃないでしょうか。
努力を褒められると、しなやかマインドセットになりやすいと言われています。
では次に、進んで硬直マインドセットになりたいと思う人はいないはずなのに、どうしてなってしまうのか説明させていただきます。
なぜ有能だと思われたいのか?
結論から言うと、人間は天才が好きだからです。
音楽家は「生まれながらの才能」よりも「熱心に練習すること」のほうが大事と口を揃えていったにも関わらず、同じ能力ならば「努力家」よりも「天才」を評価してしまうそうです(GRITの43~52ページに書いてあった)。
認知バイアスの1つですね。
性格が大事と言いながら、ルックスの良い人とデートしたがるのと同じ現象です。
つまり、人間は固定的な能力が優れていると思われる人が好き。
天才というのはあまり努力しなくても成果を出す人のことを指しますが、そんな人は漫画のキャラクター以外に存在しません。
歴史上1人もいないのです。
ですが人間は才能があると思われる天才タイプが好きなので、漫画の主人公は天才というのがテンプレになっています。
天才は価値があり人に好かれる、だから自分は才能あふれる天才だと思われたい。
有能だと思われるのは確かに効果が高いので、そう考えるのは正しいように思えます。
しかし思えば硬直マインドセットになってしまい、有能だと思われるレベルに到達するのが難しくなります。
- 有能だと思われたい
- 硬直マインドセットになる
- 硬直マインドセットなので努力ができなくなる
- 努力ができないので有能だと思われない
- 行き詰まる
馴染み深いパターンです。
努力=行動と考えると結構深刻で、何も身動き取れない状態というのは面白くありません。
天才という固定的な評価の仕方に問題がある
天才とは、生まれながらに優れた才能を持った人の事を指すようです。
なので天才という言葉自体が、硬直マインドセットの人が使う言葉となります。
僕は漫画で「あいつは昔は平凡だったが努力して天才になった」というセリフは見たことがありませんが、「あいつは努力の天才だ」というセリフは良く見ます。
冷静に考えたらかなり狂っていて、漫画のキャラのセリフならいいんですけど、真顔でこんなことを言っている人が身近にいたら悲しいでしょう。
努力の天才という概念があったら、努力の天才じゃない限り何もできないということになってしまうので、ずいぶんネガティブな考え方です。
天才は現実には存在しないと言いましたが、恐竜やサイヤ人や魔法使いみたいに現実には存在しないけど好きっていうものが人間には多いですよね?
天才も同じカテゴリーと考えれば良さそうです。
存在しないけど好き。
なぜ天才か天才以外に分けるのか
認知の歪みの1つに全か無か思考というのがあります。
スプリッティング、全か無か思考、分断本能などと呼ばれたりします。
大昔は物凄く危険で、知らない人を見たら敵か味方か瞬時に判断する必要があったので、その習性が今でもかなり強く残っているんですね。
今回の場合ですと、天才と天才以外という分け方になります。
人間を天才か天才以外の2つに分けるとすると、大半の人は自分のことを天才以外だと判断するんじゃないでしょうか。
次に人間を、天才 天才以外 ちょっとだけ天才の3つに分けるとどうでしょう?
人間は多少ナルシストなところがあるので、今度は自分のことをちょっとだけ天才だと判断すると思います。
「あいつはちょっとだけ努力の才能がある」というセリフになると、一気に現実的かつ希望に溢れていて思いやりがあるように聴こえてきますね。
なぜ新しいことにチャレンジできないのか
硬直マインドセットの人がチャレンジできないのは、他人からどう評価されるか気にするからだそうです。
しなやかマインドセットの人は、自分を向上させることに関心を向ける。
何かに挑戦すれば、うまくいくこともあれば失敗することもあります。
そして、挑戦する価値のあることは難しいので大体失敗するでしょう。
失敗すれば固定的な能力が優れているとは思われません。
他人からの評価を気にしながら何かをするというのは気が散っている状態そのものです、1つの事をしているはずなのにマルチタスクになってしまうのでは、学習効率が悪すぎるでしょう。
常に周りの目を気にする生き方だと、何もしていなくてもかなりのエネルギーを使ってしまいます。
さらに行動する時のコストが高く付くので疲れるのが早い、なのでほとんど努力ができません。
短期的に見ても何も良いことがないうえに、長期的に見るとずいぶん致命的です。
なぜ障害を乗り越えられなかったり、努力を忌まわしく感じるのか
一昔前までは、ゴルフに必要な身体は鍛えて作られるものではなく、むしろ体力を付けたら身体のキレを損なうと考えられていたそうです。
これと似たような話に村上春樹の小説の書き方があります。
村上春樹は毎日午前中に原稿用紙10枚書く、そういう書き方をしていたそうです。
あんまり芸術家っぽい書き方ではないですよね?サラリーマンとかアスリートみたいな書き方だと思いませんか?
他の小説家からは「そういう書き方は辞めたほうがいい」と言われていたそうですが、無視していたそうです。
最近の流行りは逆で、気が向いた時だけというやり方は良くないとなっています。
「運動中は水を飲んではいけない」と同じ、歴史の話でした。
中ぐらいを目指す努力
書いたことをまとめると次の3つになります。
- 努力を続けると天才っぽく思われる
- 天才か天才以外の2つではなく3つ以上に分けよう
- 他人の目を気にすると行動コストが余計にかかる
いやな気分よさようならの著者、デビット・D・バーンズが言うには完璧というのは悪い幻想で人間を失望させますが、中ぐらいという幻想は人間をあらゆる面で豊かにしてくれるそうです。
中ぐらいを目指す努力というのは結構大変そうですが、自分でもできると思わせてくれる主観的なラインなので、誰にでも有効な気がしますね。
完全なしなやかマインドセットの人間になるのは難しいと思うので、ある程度硬直マインドセットでも行動できるくらいを目指すのが良さそうです。
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サイエンス書にしては非常に読みやすい本、消極的な人は全員読んだほうがいいと思う。
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セルフヘルプ本で最も有名な本。
コンパクト版って書いてあるけど物凄く文字が多いので、気分が落ち込みやすいことずっと悩んでいるという人以外、全く読み進められないと思います。