世界三大宗教とは、キリスト教、イスラム教、仏教の3つを差すらしい。
本日紹介する話は、全世界で1億人くらいが名前を知っているそこそこメジャーな宗教。
ナーガケイボロス教についてです。
(何故か理由があるのか、ナーガケイボロス教とは言わずナーガケイボロスというのですがそれだとちょっとややこしいので、ここではナーガケイボロス教と呼ばせていただきます)
「名前だけ知ってる、でもどういう宗教なのかサッパリわからない」という人が多いようで、実際に少し教えてみたら、意外とみんな感激するのでここでも紹介していくことにします。
人生を司る神
イラオイが信仰する神ナーガケイボロスは、大蛇の頭に多数の触手を持つ。その触手は常に渦巻くように蠢き続け、決して静止することはない。
「母なる大蛇」「大いなるクラーケン」「髭の貴婦人」とも称されるナーガケイボロスは、人生、海の嵐、流れを司るサーペントアイルの神である。
ナーガケイボロスとは「海と空を駆る永遠の怪物」という意味。
イラオイのバイオから引用
ここまでは常識で、みんな知っているんだ。
大事なのは、ここから。
ここから誰も知らない。
柱となる3つの教義
あらゆる魂は森羅万象に尽くす。
万物より生まれ出でし者は、誰しもが欲望を抱える。
生けるものが欲望を満たそうとする時こそ、万物はその定めへの道を辿る。
イラオイのバイオから引用
僕はこれを初めて見た時、かなりまともな事が書いてあるなと思った。
海外では、宗教というのはサブカルチャーだと聞いたことがある。
日本でいうと、漫画とかアニメとか野獣先輩みたいなノリであるということだ。
とりあえず、ナーガケイボロス3つの教義を書いた人は、間違いなく仏教の三法印(さんぼういん)も知っているだろう。
仏教だけでなく、キリスト教やイスラム教にも詳しそうだけど、僕がその2つについて余り詳しくないのであくまで予想だけどね。
1. あらゆる人間には価値がある
個人が繁栄(フラリッシュ)するのに1番大事なのは、貢献感を感じているかどうか、らしいです。(実際に自分が他の人の役に立っているかどうかわからない、なので後ろに感がつく)
簡単に言うと、他の人の役に立つと元気になって、逆は元気がなくなる。
どんな人間でも何かしらの役に立っている、そういう考えは素直に建設的でしょう。
普通に考えれば、憎たらしい人や自分に害を及ぼす人ですら、間違いなく誰かの役に立っているはずです。
正直あまり深く議論するべき内容ではないですが、広い視点で見れば例外はないかな。
あらゆる魂は森羅万象に尽くす。
良い言葉だ。
2. 誰にでも欲求はある
生きる意味を問う若者は多いのですが、ブッダは「答えようがない」というようなことを言ったらしい。(無記という)
そして実際に、個々の人生にあまり意味はないようです。
一方欲求というのは簡単。
中でも生理的欲求や愛といった特別に強い欲求を動因といいます。
二日間寝てない人とか、全然食事を取ってない人からすれば、「自分は何者で、何処から来て、どこに行くのか?」というのは、どうでも良いを通り越して滑稽なレベル。
しかし、哲学者にはそういった人生の意味を問いたい欲求がある。
尊敬とは、その人をありのままに見ることと、アドラー心理学では言います。
人には欲望がある。
シンプルな真理だ。
ナーガケイボロス教はフロイト的な原因論ではなく、アドラー的な目的論に近い考えのようです。
3. 欲望を満たそうとする時、定めへの道を辿る
定めというのは、運命と同じ意味。
辿るというのは、たどたどしいということ。
つまり、探しながら一歩一歩進むというニュアンス。
快適な道を進む時に、辿るなんて日本語は使いません。
さて、ここで有名なマズローの欲求階層説を見てみましょう。
- 自己実現欲求
- 尊厳欲求
- 社会的欲求
- 安全欲求
- 生理的欲求
5が満たされると4、4が満たされると3みたいな。
1言でいうと、衣食住足りて礼節を知るというヤツ。
自己実現というのが、高次の欲求となっている。
イラオイのゲーム内でのセリフの1つに「満たされることなどない。欲望のままに生きよと神は仰せだ」というのがあります。
自己実現っていうと臭いとか怪しいイメージなんですが、欲望のままに生きよというのはポップでいいですね。
留まることは良くないこと
さきほど言った仏教の三法印に「諸行無常」と「諸法無我」というのがある。(残り1つは涅槃寂静)
諸行無常というのは、万物に不変のものはないという意味。
誰でもわかりやすい、そのまま。
諸法無我、あらゆるものに我はないという意味。
あんまり執着(主に自分に)するなという意味で、ちょっとこれは仏教に詳しくないとわかりにくい。
ナーガケイボロスは流れを司る神。
なのでイラオイは流れが止まっている状態(変化していない)を淀む(よどむ)と表現します。
- 変化・成長している=流れている
- 停滞している=淀んでいる
イラオイのセリフを上げてみましょう
- 「祝福が欲しくば、流れよ」
- 「成長には試練が必要だ」
- 「変化がなければ、我らの中に眠る何かが目覚めることもない」
- 「汝が道を思うがままに。生きるとはそういうことだ」
- 「悪くない。少なくとも汝は流れている」
- 「挑むこと、戦うこと。それがナーガケイボロスが我らに望むこと」
現代風の宗教
人間が成長するにはコンフォートゾーンチャレンジが必要です。
ちょっと大変で後回しにしてしまうような疲れることに挑戦すると、人間は技量が上がるという仕組み。
LOLやスポーツ、勉強や仕事だけではなく、人生いつでもそのように生きろというのがナーガケイボロス教なのでしょう。
「流れこそナーガケイボロスの教え」
道理にかなっていて、凄くいい宗教だなと思います。
ただ冷静に考えて、大昔にこんなことを人間に説いて回る人はいなかったでしょう。
単純にみんなが好き勝ってやってたら治安が悪くなりますからね。
「善か悪かなど、何の意味もありはせぬ」
というセリフもあるんですが、かなり今風。
終わりに
イラオイは最強クラスのチャンピオンで、先出しが安定します。(シンジドはBAN)
大会でも使われるくらい強いし、ソロキューだともっとずっと強い。
さらにアグレッシブに自分から攻めていくという健康的な性能だ。
なのでLOLプレイヤーならば目にする機会が多いんですが、ナーガケイボロスの教えを実践しているどころか、教義自体を全然知らない。
プレイヤーの大半は淀みっぱなしである。
多分イラオイの見た目が全然可愛くないからだろう。
女性にすら見えないし、声が太いし、最低ダイヤくらいの実力がないと一方的にボコられるだけで不快だし。(オタクじゃないと歯が立たない)
イラオイのストーリー設定考えた人は、LOLプレイヤーの人生の質が良くなるようにという願いがあったのかもしれないけど、見た目は大事だった……。