楽観主義(オプティミズム)と悲観主義(ペシミズム)は具体的にどういった状態を言うのか。
それぞれどんなメリットがあって、どのようなデメリットがあるのか紹介していくことにしよう。
結論を言うと、ほどほどの楽観主義者を目指すのがベスト。
また度が過ぎた悲観主義よりは、度が過ぎた楽観主義のほうが良く、やはり基本的に楽観主義のほうが望ましい。
悲観主義者は楽観主義者をインチキ臭いと思う
抑うつ的な人間は前向きで明るい人を見て、インチキ臭いと思ってしまう。
昔は僕もそうだった。
何故そう思ってしまうのかというと理由は単純で、軽度のうつ状態の人は正確に物事が判断できるから。(抑うつリアリズムという)
軽度のうつ状態の人が物事を正確に判断しているというのであれば、エネルギーに満ち溢れた元気な人はどうなの?となりますね。
ズバリ、楽観主義者は物事を正確に判断してない。
すなわち、悲観主義者は「楽観主義者が現実を歪めて見ている」ことを、正確に判断しているのです。
だからインチキ臭く感じる。
楽観主義者「コップの水は半分もある」
悲観主義者「先に飲んだ人がいるなら、俺が思うに、それは誰かの水ではないのか?」
という具合だ。
本来は反事実(実際とは異なるストーリー)と言って、楽観主義者はコップの水がゼロというシナリオに比べて、半分もあると考えるのでポジティブになる。
悲観主義者は逆という話だ。
悲観主義者は現実的であるという話なんだけど、「(都合の良い夢を見て)行動を起こなければ現状は変わらない」というのもまた、現実的な話だろう。
悲観主義は遺伝ではない
マーティン・セリグマンによれば、遺伝ではなく自分に説明する言葉が原因なのだそうだ。
具体的には次の3つ。
説明スタイル
- 永続性(Permanence)
- 普遍性(Pervasiveness)
- 個人度(Personalization)
補足をしておくと普遍的とは、すべてのものに共通しているさまをいう。
悲観主義と楽観主義の違いは次の通り。
悲観主義者
- 悪いことは永続する
- 悪いことは普遍的
- 悪いことは自分のせい
楽観主義者
- 悪いことは一時的
- 悪いことには原因がある
- 悪いことは自分のせいじゃない
まず1つ言えることは「悪いことは永続するし、普遍的だし、自分のせいだ」と思わないこと。
どんな時でも「悪いことは一時的で、原因があり、自分のせいじゃない」と言っていたほうが大分マシだ。
ちなみにマーティン・セリグマンは、柔軟な楽観主義が良いと言っている。
つまり自分のせいだなと思うのは、5回に1回くらいで良いということだね。
「他人ではなく自分に非があると思え」と堂々と言う人は、「悪いことは自分のせいじゃない」を実践している典型と言えるので見習っていこう。
そもそも大半のことはリスクがほとんどないけれど、リターンが大きい。
数打てば当たるというのは正しいうえに、打てば打つほど精度も上がっていくと言われているしね。
楽観主義も度が過ぎれば現実が見えなくなるけれど、そこまでのレベルに達する人は中々いないので心配する必要はないかな。
弁護士は、うつ病になりやすい
弁護士と聞けば、ちょっと相談しただけで日給以上のお金を取る知的エリート。
僕は弁護士に対してそのようなイメージがある。
物事をうまくやる狡猾な野郎だと思っているんだけど、そんな人達が普通の人に比べて3.6倍もうつ病を発症しまくっているとは意外だった。
なんで弁護士がうつ病になりやすいのか、その理由は大きく2つある。
1. 弁護士は正確さに欠く話を語れない
たまに、事実を曲げて正確性に欠ける話をゴリ押しする人がいないかい?
俗に言う、言い張る芸風というヤツ。
もちろん優秀な弁護士にそんな人はいない。
正確なことを言う必要がある。
なので、どうしても現実的な悲観主義者にならざる得ない。
弁護士として優秀であればあるほど、憂鬱になるという仕組みなわけだ。
こうやってブログを書く僕も他人事ではないので、この部分には気をつけたい。
クールビズで「室温は28度を推奨」と言った人を見習っていきたい。
弁護士ならば間違いなく、28度という前に「適切な温度は何度なんだろう?」という心のつぶやきがある。
適当な温度を言えば、避難されるのが目に見えているからだ。
なので28度と言った彼は間違いなく度がすぎた楽観主義者だろう。
2. 弁護士は間違い探しをする
弁護士は、顧客を有利にする証言と相手を不利にする証言をしなければならない。
後者が問題で、つけこめるネガティブな部分に注目する必要がある。(ようは相手の揚げ足を取る)
もっとわかりやすい他の例を上げると、税理士という仕事はそのまんま間違い探しらしい。
なのでどうしても私生活にもそういった癖が付く。
人間そういった癖がついてしまうと非常に厄介だ。
周りの人間の悪いところ、そして自分に起こった悪いことだけに注目するようになる。
ネガティブな事柄に注目する癖というのは大変に厄介で、そうなれば破滅は約束されたも同然。
行動はローリスク・ハイリターン
ここまでのことをまとめると。
- 軽度の悲観主義者は現実的なだけ
- いつも確率を考えていたら行動を起こせない
- 楽観主義者は夢想的である
- 夢を見ていたほうが行動しやすい
- 大半のことはリスクが低い
- 大半のことはリターンが大きい
弁護士は現実的というだけで病気になってしまう。(彼らは決して完璧主義者ではない)
現実的な人と夢想的な人ならば、前者のほうが一般的かつ優れているような気がするけど、実際はそうじゃなかった。
リアリストだけど病気にならなければ行動力もある、そういう人ならばリアリストも悪くない。
しかし、そうではない人は夢を見ていたほうが良さそうだ。
なぜ行動回数は多いほど良いのか?
- 人生は現実的よりも夢想的なほうが良い
- 行動はローリスク・ハイリターンである
というのはわかるのだが、いまいちピンと来ない。
何故これほどピンと来ないのか考えてみたら、僕の場合は対戦ゲームをやりこんでいた経験が足を引っ張っていることに気づいた。
当たり前なんだけど、対戦ゲームにはローリスク・ハイリターンな行動はあんまりない。
最強の戦法があればそれだけを繰り返すことになる、それではゲームとして問題だからだ。
一応積極的なほうが人間好ましいので、どのゲームも待つよりは攻めるほうが有利なようにデザインされてるんだけどね。
一方RPGやスマホのソーシャルゲームを考えるとどうだろう?
ローリスク・ハイリターンどころの話ではない。
リスクがあるとすれば、プレイした時間が無駄になるくらいなもので、単純にやればやるほど強くなる。
よく考えると、人生の大半はゼロサムゲーム(一方の利益が他方の損失になる)ではない。
なので行動回数が多い働き者は、みんなの役に立つし歓迎される。
終わりに
悲観主義者と聞いて思い浮かぶのは、昔の同級生で不良と呼ばれていた人たちだ。
彼らは妙に悲観的だったが、自分の寿命(中学から20までが不良のパワースパイク)が短いと知っていた。
つまり、大人になれば女性にモテないと知っているので、その前に行動を起こすという戦法を取ったのだ。
コミュニケーション能力も行動力も高いのは素晴らしいが、日々の生活が楽しくないというのは致命的。
それに異性と接するのは面白いけど、それ以外のことは大抵面白くない。
つまらないことを粘り強く続けるには、楽観主義者にならなければ難しいだろうね。
自分に語りかける説明スタイル、見直していこう。
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