エッセイ

本を読みたいのに読めないという人へ、僕からのアドバイス。

読書習慣を身につけたいのに 身につけられない人へ

世の中にはブログを書きたくても書けない僕がいたり、異性と親しくしようと思ってもできない人がたくさんいます。

 

〇〇をやろうと思うんだけどできない、というヤツですね。

 

「わかっちゃいるけどやめられない」と並んで代表的な人の悩みのひとつですね。

 

興味がないというならまだしも、興味があるのに本が読めないというのはどういうことなのか。

 

彼らの頭の中で何が起こっているのか?

 

本日はソレを説明しましょう。

 

読書家にとって、読書というのは勉強ではなく娯楽である

 

読書家っていう言い方ちょっと気取ってる感じがしてアレなのですが、気にしないで行きましょう。

 

僕は小さい頃からずっと、本を読むのが好きでした。

 

それはおそらく家に図鑑があったからだろうと考えている。

 

教育熱心な家庭ではなかったのだが、なぜかそういう本があったんですね。

 

あとは幼稚園(小学1年生かも)の時に、当時僕は将棋で遊んでいたのですが、父親が将棋の本を買ってきてくれたというのもあります。

 

基本的に読書は慣れている人たちにとって、漫画を読むのとなんら変わりありません。

 

というか「勉強」というのは本来は頑張って気が進まないことをするという意味しかないので、やはり読書は勉強ではないです。

 

子供の頃に、周りの大人から「本を読んでいるから偉い」と言われたことがない

 

学校で新しい国語の本を渡された時は毎回、国語の授業中に授業内容と全然関係ない後半のページまで読み進めていました。

 

明らかに後半を読んでいる僕を見て、先生が後ろから「本好きなのか?」と言われて「うん」とだけ答えたことがあるのですが、先生はその後怒りも褒めずせずに立ち去りました。

 

その先生は「熱心に本を読んでいるのは良いことだとは思うが、偉いと褒めるのは違うし」と考えたのかもしれません。

 

そういえば家族に「本を読んでいるから偉い」と言われたことは、生まれてから一度も記憶にないですね。

 

本を読む行為=偉い

 

この認識は本を読みにくくさせるだけでしょう。

 

買った本を読まないのは先延ばしではない

 

なぜかというと読書というのは、必ずしもやるべきことではないので。

 

読みたいのに読めない理由の1つに、特別なことだと意識しているからというのがあります。

 

つまり本を読むという行為を特別なものだと考えると、腰が重くなるという話。

 

以前の僕がブログを書けない理由と同じ、思春期の少年が異性に話しかけられないのと同じです。

 

特別なことだと認識すればするほど、身構えてしまう。

 

毎日頑張って本を読んでも続かない。

 

寝る前に本を読むという人が多いんですが、意志力が一番弱い寝る前に嫌々そんなことできる人なんて少ないです。

 

就寝前の1時間に毎日嫌なことできる人がいたら超人すぎる。

 

読書をしても何か変わるわけじゃない

 

はっきり言いますと本を読んだだけじゃあ、そんなに変化ってないですからね。

 

読んだ本がゲームの攻略本じゃない限りは、劇的に何かが変わるってことはないです。

 

魅力的な異性に勇気を出して声をかければ、その瞬間から人生の全て変わる可能性があります、でも読書はそうではありません。

 

今まで本を読んだことがない人が、何か1つ本を読んでも効果はゼロに等しいですよ。

 

なんの即効性もないでしょう、断言します。

 

報酬を期待して何かをするというのは、単純なこと以外効果が下がってしまいますしね。

 

ゲームの攻略本は凄い効果だけど……

 

まとめ

  1. 読書=勉強ではなく、読書=娯楽ということを知りましょう
  2. 本を読んでいるから偉いとは思わないこと
  3. 本を読む行為を頑張らない
  4. 報酬を期待して読書をしてはいけない

最後に僕からのアドバイスを一つするとしたら、慣れるまでは本当に自分が興味がある本だけを読んだらよいと思います。

 

物事は好きなことでさえ、上達するのは中々難しいことですからね。

 

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分厚い難しい本はないけど、ベストセラーなら大体あります。

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