自己肯定感を高めるには、価値があると思えることを練習して自信を付けるのが良い。

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まず自己肯定感の意味から。

自己肯定感(じここうていかん)とは、自らの在り方を積極的に評価できる感情、自らの価値や存在意義を肯定できる感情などを意味する言葉であり、自尊心(英語: self-esteem)、自己存在感、自己効力感(英語: self-efficacy)と同じ意味あいで用いられる。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』自己肯定感より

自信と似ていて、ほとんど一緒と言って差し支えないと思う。

スポーツの世界では、自信を付ける方法はひたすら練習することだと言われている。

簡単に言えば、自己肯定感を得るには「コレが上手にできたら自信が湧くだろう」と思えることを練習するのが有効、という話だ。

ところが人間のモチベーション的な仕組みとして、勝ち目のないことは、まず始めようと思わない。

目安としては「成功の可能性が70%くらいある」と本心から思えないことは、結果的に達成するのが難しくなってしまうのだ。

何かを始める時に「成功率は70%くらいだな」という感じるのは思い込みに過ぎないのだが、そう思えないことには始まらない。

そして、うまくやりたいことというのは、大抵先延ばしにしていた苦手なことである。

一回もやったことがない物事について自信がある人はいないのに、自信がなければ物事は達成できないという事実。

これは一体どういうことなのだろうか?

今回の記事では

  • やったことがないことを上達させる方法
  • フロー体験をする人に共通する9つの要素
  • 物事が順調であると知る方法
  • 大昔の人には誰でも自己肯定感があった話
  • 活動自体が楽しいと思えるようになる方法

ということについて書いていくことにする。

自己肯定感を高めるにはゲームをしている時を思い出す

人並みにできることが何もないけど自信だけはある、そういう人は滅多にいない。

自己肯定感を高める方法というのは、やったことがない事への自信を高める方法といえる。

身近に感じられる手法としてまず思いつくのは、ゲームだろう。

特別に賢い人間じゃなくとも、最初のステージは簡単すぎると感じるものだ(たまに最初から難しいゲームもある)。

その後は少しづつ難易度が上がってきて、そのうち難所と呼ばれるちょっと工夫しないとクリアできないステージが現れる。

しかし自己肯定感が育っているので、プレイヤーは何度も失敗しながら毎回少しづつプレイを工夫して、最後にはクリアする。

理想的な人間の姿だ。

ゲームをする時以外の自己肯定感も、このように少しづつ高めていきたい。

自己肯定感とフローと楽しさ

ゲームは自己肯定感を高める仕組みが上手に取り入れられているのだが、プレイヤーがゲームをプレイする目的とはなんだろう?

人に自慢するとかファッションのためにゲームをする人は中々いないので、ゲームが仕事じゃないのであれば、楽しいからする意外に理由は考えられない。

実際に人がゲームをするのは、フロー体験というものを得たいからするのだそうだ。

1 過程のすべての段階に明確な目標がある
2 行動に対する即座のフィードバックがある
3 挑戦と能力が釣り合っている
4 行為と意識が融合する
5 気を散らすものが意識から締め出される
6 失敗の不安がない
7 自意識が消失する
8 時間間隔が歪む
9 活動が自己目的的になる

M.チクセントミハイ著 クリエイティヴィティ125~127Pより抜粋

1~9はフローを体験する人が感じる9つの共通した要素である。

9の自己目的的というのは、1~8の状態ほとんどが存在すると、その活動自体に楽しさを感じるというものだ。

1は目標、2はフィードバック、3は難しすぎず簡単すぎず、4~8は集中力。

一つ疑問がある、2のフィードバックだ。

自分がどれくらいうまくいっているか、そのことは、どうやって知ればいいのか?

フィードバックを得るには記録をつける

ゲームにはスコアやステータスがあるが、自分自身にはない。

なので面倒だが記録を付けるという方法が思い浮かぶ。

自分の食事の記録を付ければ無意識に食べ過ぎることはないという話、あなたも聞いたことがあるだろう。

大体の事は記録をつければフィードバックが得れる。

「最近は日々の生活がうまくいっているな」と思えれば、それは自己肯定感を得ているに等しい。

しかし、日々の生活、勉強をする、絵を書く、文章を書く、人間関係といったことはどうやって上手くいっているか知ればいいのだろうか?

評価基準が内面化できていればフィードバックが得れる

テストの結果が来るまで、「自分の勉強がうまくいっているかどうかがわからない」というのでは、中々不安だと思う。

面白いマンガは毎週面白いし、上手な絵を書く人は常に上手な絵を書く。

どうやら彼らは何が「良い」アイデアで、何が「悪い」アイデアか、わかるらしいのだ。

人に冗談を言う時、なんとなくウケるかどうかというのがわからなければ、ウケる冗談は言えないというイメージだ。

必ずしも冗談が人にウケるわけではないが、評価基準が内面化できているかどうかで、確率や見込みといったものが全然違う。

そしてどのような冗談が正解に近いのかは、とても人には伝えられない。

伝えようとすれば、長くなりすぎてしまうからだ。

このように特定の物事が高度に内面化できていることを、認知心理学の世界だと心的イメージ(Mental Represention)という。

練習すればするほど有効な心的イメージが作られていくので、初心者のうちは時間を記録するという方法が良いと思う。

上達すれば、その時間の質もわかってくるようになる、そういう狙いだ。

大昔の人は自分に存在意義があると思っていた

人の役に立つこと、人より上手にできること、収入に繋がること、そういった有意義だと思えることが上達すればするほど自己肯定感を得やすい。

と書いてきたのだが、どうやら大昔の人は「生まれながらに自分に存在意義があると思っていた」らしい。

それは次のような理由だ。

  • 神が人間をつくった
  • 人間は無意味なものをつくらない
  • ならば神がつくった人間にも意味があるはずだ

この考えを始めて聞いた時、素敵だと思った。

もしかすると、自己肯定感を得るのに努力は必要ないのかもしれない。

しかし現代人が同じ考え方をするのは、かなり無理があるように思える。

有意義なことを好きなことに変える方法

「できるようになったら良いな」と思う事を練習する。

「価値がある」と思えることを習得すれば、自己肯定感が身につく。

たったこれだけのことなのだが、自分が有意義だと思うことを習得するのは大変難しい。

何故かというと、人よりも習熟していることは、それ自体が楽しいと思えることだからだ(趣味というのは、そういうもの)。

これを外目的的(エキソテリック)という。

最近自分に起きた外目的的なことが自己目的的(オートテリック)になった例を一つ紹介したい。

自宅でステーキを焼くと随分安く食べれるので、ステーキの焼き方を学んでいた。

ステーキを食べるという目的なので、この場合は食べるのが自己目的、焼くのは外目的だ。

その後、実際に買ってきて焼いているうちに、かなり上手に焼けるようになってきた。

そうしたら自分で食べることよりも、人に振る舞ったり焼くこと自体が楽しみになった。

ステーキを焼くという行為が、自己目的的になった例である。

ステーキを焼く行為に、フローの9つの要素を当てはめてみると納得するものがあった。

  • 過程のすべての段階に明確な目標がある(焼く前の準備など)
  • 行動に対する即座のフィードバックがある(上手に焼けたかイマイチか)
  • 挑戦と能力が釣り合っている(手順を学んでから焼けば難しくない)
  • 失敗の不安がない(ステーキは失敗しても美味しい)

何事も続けているうちに段々楽になるという仕組み。

終わりに

では最後に自己肯定感を得る流れを書いておこう。

  • できるようになったら良いなと思うことを練習する
  • 9つのフローの要素に当てはめていく
  • うまく行けば練習自体が楽しくなる
  • その結果自己肯定感がつく

何も工夫しない場合、自己肯定感には運の要素が大きいと思う(周りの人間、遺伝など)。

しかし、一般的に自信を付けるだけならば、そこまで難しくはないだろう。

誰でも「これは人よりうまくやれる自信がある」という物事があるからだ。

学校と一緒で、うまくやれるのであれば何事も楽しいと思う。

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