今回紹介する本は
先日、知人と「昔は俺どこも悪くないのにしょっちゅう腹痛かったわー」とか「頭痛かったわー」って会話していました。
確かに思い返してみると、僕は小学校低学年くらいまで頻繁にお腹が痛く、俗に言う腹痛持ちというヤツでした。
お腹が痛くなる条件というのは大体決まっていて、それは牛乳を飲んだ時とかではありません。
大抵は先生や母親が怒鳴っている時に痛くなっていました。(説教というには声が荒々しすぎた)
今でこそ目の前に怒っている人がいてもなんとも思いませんが、当時はかなり神経が細いというか、ネガティブなものに影響されやすかったのでしょう。
どこも悪くないのに痛みを感じるのはなぜか
目、耳、鼻、皮膚、舌などからの情報を知覚。
納豆は臭いけど美味しいとかは、刃物は危ないとかそういうのが認知。
ストレスは体に悪いから避けるべきというのを認知バイアス。
単純に認知の偏りのかっこつけた言い方で、他にも霊感を得る>インスピレーションを感じる>閃いた、とか言いますよね?
それで話を戻しますと、痛みというのは単純な知覚反応ではないという話です。
痛みとは防御反応であり、つまり精神的なものも反映するのだと。
先程の例だと、怒鳴り声に過敏に反応して、気分が悪化、その精神的ダメージがお腹にきてしまう。
元々お腹は弱かったんでしょうが、そこにばかりダメージが行くように、体がなってしまっていたという仕組みです。
適応力の1つで、ウエイトトレーニングをしている人は筋肉が太くなるのと同じ。
小学生の僕には悪い適応力がついてしまっていたし、知り合いは腹痛ではなく頭痛を感じるという違いなだけです。
ヨガや瞑想で悪い適応力をリセットできる
完全に坊主失格と同じような内容になっていますね。
たしかマインドフルネスというのは、禅の教えから宗教的な要素やスピリチュアル的要素を取り除いたものだったので、目的が同じなのは当然と言えるかもしれません。
このシリーズって、本を片手にとりあえずやってみよう!!
というノリで書かれているため、凄い分かりやすく書かれているんですが、この本も例外ではありません。
ストレスや痛みによる変化が最初に現れるのが呼吸。
痛みと同じように、身を守るための本能なのですが、闘う前の息が荒くなっているような状態は健康的ではない。
逆に深くゆったりとした呼吸をすると、脳や神経系が安全だと感じて、体がリラックスする。
僕はラジオ体操とか結構好きだった記憶がありますが、最後の深呼吸だけは意味がわかりませんでした。
よく深呼吸をして落ち着こうとかありますが、元々そんなに動揺しないタイプだったので、言葉の意味がわからなかったのです。
人が怒鳴っている時に呼吸を整えれば、お腹が痛くなることはなかったのかもしれませんね。
先生は僕がトイレに行きたいというたび、申し訳無さそうな顔をしていたのですが「なるほど、そういうことだったか」と、今ならばわかります。
僕は男なので、こういうこと言うのも無責任な気がしますが、生理痛にこそ効果があるかもしれないですね。