
心理的安全性というのは子供なら誰でも持っていますが、成長するにつれて失われていくものの1つです。
Googleが言うには、チームのパフォーマンスに影響する要素は次の5つ。
人間は全く人と関わらずに何かをすることは無いので、チームという言葉は気にしなくて良いでしょう。
この中で唯一わかりにくいのが、インパクトですが、意味は自分の仕事が良い変化を生むと思えることですね(コントロール感覚と大体同じ意味)。
この5つの中で最も効果が大きいのが心理的安全性です。
心理的安全性が確保されていないと集中できない
心理的に、危険か安全かといちいち判断するのは、単純に気が散る要因として大きいからです。
集中力に関わるというか、「危険だと思いながら集中している」というのは言葉がおかしいですからね。
人間関係や借金など、深刻な悩みがある場合も同様です。
- 心理的安全性が確保されていない=集中できない
ということなので。
さらに、健康、家庭、金銭にかかわる、より深刻な問題は、人の心を執拗に占拠してしまうので、人はもはや、十分な注意を仕事に向けることができなくなる。
そして、長期の枯渇状態、著述の行き詰まり、燃え尽き状態がその後に続き、その結果、それらが創造的なキャリアに終止符を打ってしまうことさえある。
チクセント・ミハイ著 クリエイティビティ 136P注意の散漫を避けるから引用
では心理的安全が確保された例と、されていない例をいくつか挙げてみましょう。
親しくない人と一緒にゲームはしないほうがいい
結論から書くと、リスクを取ることを安全だと感じられないからです。
多人数でするゲームのプレイヤーの思考は次の通りです。
「成長を求めて挑戦していきたい、日々そういう姿勢でプレイしてます。でも他人はなるべく大人しくプレイして欲しい」
このように大半のプレイヤーは、非常に矛盾した考えを持っています。
まるで自分は浮気しても良いが、恋人の浮気は許さないと言うような姿勢です。
ですが利己的というわけではなく、ただ健康的で人間らしいだけです。
なので、親しい人以外とプレイするのは避けたほうが良いです。
親しい間柄ならば心理的安全性を確保するのは簡単で、むしろお互い積極的に確保しようするでしょう。
本格的な対戦ゲームで上手な人というのは次のどちらかです。
- 1人で黙々と熱心プレイしている
- 周りのゲーム仲間に恵まれている
当たり前の話ですが、長時間ゲームをやりすぎた場合「ゲームやってる場合じゃないな」と感じるはずです。
心理的安全性の観点から考えると、娯楽というのは複雑ですね。
仕事と家庭の大成功は両立しない
研究者は結婚して子供が生まれると、執筆する論文の数が激減します。
ジャッキー・チェンやアインシュタインの家庭は機能していなかった、という話は有名ですね。
あまり私達一般人には縁のない話になりますが、仕事と家庭の大成功は両立しないと、古来よりずっと言われてきました。
単純に子育てというのは大変で、よほど異常な人じゃない限り、心理的安全性など全く確保されないからです。
なので、子供を完全に無視するか、悩みながら子育てをするかになります。
もし自分がジャッキー・チェンやアインシュタインだったら仕事の価値が非常に高いので、やっぱり子供は無視することになると思います。
心理的安全性を確保するには?
普段生活する周りの人間と親しければ、心理的安全を確保することができます。
たくさんありますが、代表的なものは次の4つです。
お互いのミスを避難せずに、難しい問題を指摘しあう。
リスクのある行動をしても安全だと思えて、お互いに助けを求めることができる。
という人間関係が構築できていれば良いのです。
そういった人間関係が1つでもあるならば、他の人ともそのような関係を築くようにするのが良いでしょう。
あまり親しくない人との場合はどうなるのか?
1つ目のミスをすると避難されるかどうか、から見てみましょう。
MOBAや人狼ゲームなど多人数でする対戦ゲームでは、ミスをすると避難されます(避難はしないほうが良いです)。
他人が避難してくるのは当たり前なので、この場合は完全に無視するというのが対策となります(ゲームと人間関係は違う)。
親しい人や家族相手ならば、Googleのように心理的安全性の確保が大事であるという話を理解して貰うのが良いでしょう。
2から4は最終的に自分がそう思えるかどうかなのですが、個人の考え方より外部的要因に左右されます。
周りが善人ならばリスクのある行動をしても安全ですが、悪人しかいないのであればそんなことはできません。
つまり運の要素が大きいのです。
終わりに
人に気を使うのは疲れますが、どのように人と接すれば良いのか? という指標になるでしょう。
それと、頻繁に接する人と親しくなるのは相当コストパフォーマンスが高い行為と言えます。
損得で人付き合いを考える人みたいで、少し嫌な響きですけどね。
まともなコミュニケーションが取れているという自信がある人は、自分自身に対しても、同じように接していければ良いのかなと思いました(セルフコンパッションという)。