いきなりタイトルがきつい感じになってしまいましたが、特に叩いたり殴ったりするつもりは一切ないことを初めにいっておきます。
昨日寝る前に閃いた考えを、一晩置いてから書き始めているというのが今の状態ですね。
アクコというのは、アクセスコードの略です。
アクセスコード無しの村を野良村
アクセスコード付きの村をアクコ村
そう呼ぶことにしましょう。
僕自身はアクコ村の人達へのイメージは、排他的だから嫌がられているのかな?
と考えていたんですけど、多分それは理由の1つではあり、本質ではないことに気づいてしまいました。
今日はそのことについて新たに発見した考えを書いていくことにしましょう。
どんな小さなストレスでも避けようとする消極的な姿勢が嫌悪されている
結論から書くと、こうなります。
僕は今までアクコ村の人が嫌われているのは、ゲーム性が浅いからなのかなと考えていました。
つまり仲良しグループの癖を読んで遊ぶことになるので、狼か人間かが非常にわかりやすいのでちょっと破綻しているだろうそれは……
と思っていました。
実際に対戦ゲームとしては非常につまらないものになるでしょう。
でもそう考える人は自分が上手であると認識しているので、初めからそんな村に入るという考えがないでしょう。
アクコ村の人達の特性
- 非常にネガティブである
- 人狼ゲーム自体は上手ではない
- 知的好奇心が薄い
信じてもらえないかもしれませんが、僕自身に悪意は全くありません。
では順番に説明していきます。
1
ネガティブというのはポジティブの略で、マイナス思考の人。
つまり、悪いところばかりに目がいく人ってことです。
ネットの人狼ゲームは口喧嘩バトルと言っても言い過ぎではないし、もちろん対戦ゲームなので相手の嫌がることをします。
心理ゲームだと割り切れない人は、周りのプレイヤーが血も涙もないサディストだと思ってしまうのかもしれません。
よく「初心者村以外の野良に行くのが怖い」という人が結構いますが、そう思うのは当然かなと納得してしまうほどです。
でもアクコ村ならば知り合い同士だし、みんな大人しいし優しいので、心理的ダメージが少なく済むでしょう。
2
人狼ゲームは、外向的よりも内向的、男性よりも女性、大人より子供、モテない人よりもモテる人のほうが圧倒的に上手です。
特に最初にあげた内向的であるかどうかというのは、差がありすぎて、外向的な人が彼らより上手になるには相当な練習が必要でしょう。(両向的な人もいます)
こうしてみると確かに、左側の傾向である場合が多いですねー。
メタ認知能力が低ければ、コミュニケーション能力も低い。
アクコ村の人達は優しいのですが、それがコミュニケーション能力に比例するわけではないというのが、ちょっと寂しいですね。
3
これは性格で言うと経験への開放性って言葉になりますね。
知性とか知能指数に関連性があると言われています。
ビッグファイブで検索してみるといいかもしれません。
本人じゃないのでわかりませんが、僕から見るとアクコ村の人はこの数値が最低に近い人が多いでしょう。
これも開放性が低いから劣っているというわけじゃないし、良いところもあります。
個性っていう言い方が適切ですね。
でも人狼ゲームには向いてなさすぎる。
誰もが強い人間になりたいと考えているのかもしれない
強いってこの場合は人狼ゲームのことじゃないですよ?
人は、精神的な強さへの憧れがあるのかなと感じました。
もちろん僕もそのような人間になりたいと常に考えています。
野良村に行く一般的なプレイヤーが、必ずしもストレスに立ち向かっていくような勇敢な人ばかりではありません。
単純にゲームに慣れて、ゲーム中の言葉の暴力への耐性が付いているから特に何も感じないだけです。(ゲーム中だけというのがポイントだ!!)
彼らだって自分が苦手なことには、いつも勇敢に立ち向かって行きたいはずです。
となるとアクコ村の人が嫌われるのは、種族の中で劣っている人を排除しようとする心の動きなのかな。
誰でもいじめっ子な部分が少しはありますからね。
最後に
色々書きましたが、村を建てる人がいちいちそんなことを考える性格だとは思えません。
強いていうならばアクコ村を建てる人は経験への開放性が低い、くらいでしょうか。
村を建てるって結構慣れてないと心理的な抵抗があるので、村長というのはステップが軽い人が多いんですね。
価値観というのは人によって違います。
彼らはゲーム性や人狼ゲーム自体の成長よりも、もっと優先することがあるのでしょう。
今回は僕にとって中々難しいテーマであり、中々考えがまとまりませんが、長くなってきたのでそろそろ終わりにしたいと思います。
正直ぜんぜんうまく書けてないので公開したくないんですが、その考えは最悪なので、何も考えずに公開していくことにしましょう!!