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対戦ゲームをするプレイヤーは実力主義になってしまうが、運や試行回数やインチキ臭さも大事

実力主義

人生は、運よりも実力よりも「勘違いさせる力」で決まっている。

 

というタイトルの本をご存知だろうか?

 

「世の中には実力が大事と思っている人と、運が大事だと思っている人がいるけど、実は勘違いさせる力が大事なんだよー」

 

という趣旨のタイトルだけど、この本を手にとった時。

 

「そういえば本格的な対戦ゲームをする(していた)プレイヤーは過剰に実力主義な傾向があるな」と考えた。

 

実力主義っていうのは学歴や性別や年齢ではなく、能力を重視して評価するっていう考え。

 

この実力至上主義は平等で健康的に見えるが、かなり問題のある考え方なので、本日はそのことを書いていきたい。

 

僕は、LOL 格闘ゲーム MTG 人狼ゲーム などをやり込んだ経験があるし、今でもよくやる(人狼ゲームだけ本格的な対戦ゲームじゃないが一番オススメだ)。

対戦ゲームは何故実力主義なのか?

結論から言うと、負けるとレートやランクといったものが下がるからだ。

 

仮に負けてもポイントが下がらず、勝った時だけ上がるというのであれば、RPGのレアアイテムを掘るのと変わらない。

 

試行錯誤をするよりも、ひたすら回数を増やしたほうが有利となってしまう。

 

なので対戦ゲームは試合の勝敗には運が絡むとしても、何試合もしたら実力通りのランクに到達するようにできている。

 

最終的には運が良い人ではなく、必ず実力がある人が勝てるようになっているんだ。

 

また対戦ゲームの世界では、自分が実力以上に上手だと人に勘違いさせることは非常に難しい。

 

「インチキ臭いヤツを撲滅できるなら、実力至上主義は良い考えじゃないか?」って思ったかもしれないが、問題点はかなり多い。

 

それでは実力がない人はどういう扱いをされるのか、という話からしてみよう。

対戦ゲームでバカにされるタイプとは

僕は色々な対戦ゲームを高いレベルでプレイしてきたが、多分やったことない人でも予想できるんじゃないかな。

 

バカにされるタイプとは、プレイ時間が長いのに下手な人である。

 

逆に偉いのは、プレイ時間が短いのに上手な人である。

 

上手っていうのはプロとかセミプロレベルである必要はなくって、平均的プレイヤーに比べて「おっ、上手だなー」とみんなに思われるレベルで良い。

 

ゲームは娯楽なので、誰もが熱心にプレイしているという前提がある(飽きたら別な事するでしょ?)。

 

なのでプレイ時間が長くて下手な人は才能がないのではなく、能力が劣っている人だと思われる仕組みだ。

量より質という考えは間違っている

前提として量より質という考えは、練習という分野においてはハッキリと間違っている。

 

超一流の鉄則10

  1. 自分の能力を少しだけ超える負荷をかけつづける
  2. 「これで充分」の範囲にとどまっていると、一度身につけたスキルは落ちていく
  3. グループではなく、1人で没頭する時間を確保する
  4. 自分の弱点を特定し、それを克服するための課題を徹底的に繰り返す
  5. 練習を「楽しい」と感じていては、トッププレイヤーにはなれない
  6. これ以上集中できないと思った時点で練習や勉強はうちきる
  7. 上達が頭うちになったときは、取り組むメニューを少しだけ変えてみる
  8. 即座にフィードバックを得ることで、学習の速度は劇的に上がる
  9. オンの時間とオフの時間をはっきり分け、1日のスケジュールを組む
  10. どんな能力も生まれつきの才能ではなく、学習の量と質で決まる

超一流になるのは才能か努力か 帯紙より抜粋

しかし、コーチや親しい上級者無しで練習の質なんぞわかるのだろうか?

 

プレイ時間が長いのに下手な人を思い出してみて欲しい、彼らの周りにそういった人がいたかい?

 

例えば僕はLOLが上手なんだけど、それは似たようなゲームでLV1の時からチャレンジャーと一緒にプレイできる環境だったからだ(#TOKINAのterako選手知ってる?)。

 

ちょっと信じられないかもしれないが、本当の話だ。

 

しかも友人なので、お互いコミュニケーションに気を使う必要もなかった。

 

そんな環境でプレイしていたら、上達しないほうが難しいだろう。

 

冷静に考えてみると、誰も知り合いがいない人が上級者に手取り足取り教えてもらいながらプレイできる環境を意図的に作るのは、かなり難易度が高いのではないか?

 

美少女じゃない限り、お金を払う必要があるよね。

 

金持ちの家に生まれた人の学力が高いのと一緒で、質が良い練習ができるかどうかは運によるところが大きい(それでもテストの点数やゲームのランクを実力で決めるというのは、システム的に平等であるように配慮されている)。

人は努力家よりも天才タイプが好き

長年の調査で、次のような質問が行われた。

 

問1 「成功するためには、才能と努力のどちらが重要?」

努力が大事と答える人は才能の2倍だった。

 

問2 「従業員を雇います。知的能力が高いことと勤勉であること、どっち?」

「勤勉であることが重要だと思います」と答える人は知的能力が重要と答えた人の5倍だった。

 

問3 音楽家へのアンケート「熱心に練習することと、生まれながらの才能どっち?」

ほぼ全員が「熱心に練習すること」のほうが「生まれながらの才能」よりも重要と答えた。

 

このように人々は口を揃えて努力が大事と言っているが、「将来成功する確率が高いのはどっち?」っていう質問だと、みんな手のひらを返したように天才タイプというそうだ。

 

「努力」と「才能」には2面性がある、「恋人は性格の良い人がいい」と言っておきながら、実際は見た目が良い人とデートしたいのと同じだ。

 

量より質という考えは間違っているとさっき言ったけど、人間が好きなのは量より質なんだね。

 

世の中は不思議だ……

実際、世の中に天才はいない

音楽家へアンケートでは、他と違ってほぼ全員が「才能よりも練習が大事」と答えた、何故か?

 

練習しないのに1流っていうキリト君みたいな音楽家は、身の回りどころか歴史上ですら1人もいないからなんだ。

 

才能よりも努力が大事なのは知っているんだけど、男性が若くて可愛い子が好きなように、天才タイプが好きっていう習性が人間にはある。

 

このため、質の良くない練習をたくさんする人はバカにされるってわけ。

 

それにしても毎日熱心に練習しているゲーマーや音楽家ですら、天才タイプが好きという偏った考えを持ってるのは不思議だ。

 

彼らはそんな人存在しないって知ってるはずなのにね。

ゲームとペーパーテスト以外では運の比重はかなりでかい

初めて異性と交際した時のことを思い出してみればわかると思う。

 

運が良かった以外の何物でもない。

 

変な噂が立たない程度に、たくさんの女性にアプローチをしたはずだ。

 

1人に声をかけて、見込みがなければ次。

 

思春期の男はみんな、一流セールスマンのような男の顔をしていた。

 

異性に振られてもレートが下がるってことはなく、試行回数が多いほど得(女性は違うんだけど、長くなるのでおいておこう)。

 

基本的にはサイコロやコイン投げの達人のほうが圧倒的に有利なことが多い。

まとめ

  1. 実力主義は公平という信念に基づいている考え
  2. 大半の人間は努力家よりも天才タイプが好き(量より質が好き)
  3. 実力主義だと運や試行回数の多さを軽視してしまう

実力主義は平等で善人っぽい思考だけど、かなり偏った考えだ。

 

失敗のリスクが極めて低いことには、もっとインチキ臭くサイコロを振って良いと思うんだよね。

 

戦場とかサバンナやジャングルじゃないんだからさ。

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運や実力ではなく、勘違いさせる力が重要だと説いてある本。

 

僕はその視点が凄く面白いと思ったけど、内容自体はそこまで目新しいことは書いてない。

 

5章まで読めるのでリンクを貼っておくよ。

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