書評

嫌われる勇気、アドラー心理学の話その2-3「競争と人生のタスク」

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今まで書いてきたことを振り返ると

「トラウマを否定せよ」

「なぜ自分の事が嫌いなのか」

「劣等感について」

となりますが、今日は「競争と人生のタスク」というテーマになります。

 

人生を他者との競争と捉えてはいけない

 

人生を他者との競争と捉えてしまうと、どうなるか。

他者全般、そして世界を「敵」だと見なすようになる。

世界とは恐ろしい場所だと。

すると「他者の幸福=自分の負け」と感じてしまう。

だから祝福できない。

 

他人に良いことが起きるたび、不快な気分になるのは中々辛いことだ。

他人の幸福を素直に祝福できる心の清い人のほうが、生きやすいと思う。

 

でも他人を祝福できない人のほうが多いだろうし、SNSでは自分を大きく見せようと自慢する人はたくさんいる。(大きく見せようとするのは自然界の基本)

 

健全な優越性の追求と劣等感

 

優越性の追求。

言葉だけを聞けば。汚い手を使っても他人を蹴落として上に登ろうとする、物語の読み手にストレスを与えるためだけに存在するようなキャラクターみたいな印象がある。

 

アドラーが言うには、みんなで同じ山を登っているのではなく、平らな道を前に行ったり後ろに行ったりしている。

今の自分よりも前に進もうとすることにこそ、価値があるらしい。

 

健全な劣等感というのも、他者との比較ではなく、理想の自分との比較によって生まれるものであると。

 

望ましい行動をまとめると

 

  1. 競争していると他人を祝福できない
  2. 他人ではなく現在の自分よりも前に進もうとするのが良い
  3. 他者と比較するのではなく、理想の自分と比較しよう

 

人生のタスクを乗り越えよう

 

人が他者を「敵」とみなして、「仲間」だと思えないのは何故か?

「人生のタスク」から逃げているせいだと。(ここでも原因という単語を使っていなかった、原因がフロイト的キーワードだからだろう)

全てをほったらかしてゲームをやりすぎている人は1万人くらい見てきたし、僕自身もそうだったから心当たり多すぎて困るってヤツw

 

若くして金メダルを取るような、よっぽど立派な人間以外には説明不要なようで、本にも乗っていなかった。

 

行動面と心理面の目標

 

アドラー心理学では行動と心理の2つに、明確な目標というものがあるという。

 

行動面の目標

  1. 自立すること
  2. 社会と調和して暮らせること

心理面の目標

  1. わたしには能力がある、という意識
  2. 人々はわたしの仲間である、という意識

 

結構具体的に書かれています。

そして、これらは人生のタスクと向き合うことで達成できると。

 

人生のタスクって何?

 

仕事と交友と愛の3つ。

これらをまとめて人生のタスクと呼ぶ。

 

人間が社会的な存在として生きていくのに直面するのが、この3つのタスクであると。

だから人生のタスクという名称なんだね。

 

仕事のタスクにつまづくと、ニートや失業者や引きこもりになると。

具体的に言うと、アドラー心理学では全ての悩みは対人関係と言い切っているので、仕事のタスク=仕事をする上での対人関係ということになります。

 

少子化という問題を考えると、日本人の大半が愛のタスクにつまづいていると言えるでしょう。

これは、真理をついてしまった……

 

ちなみにアドラーは

「この人と一緒にいると、とても自由に振る舞える」と思えた時、愛を実感することができる

と言っております。

 

人生の嘘

 

アドラーは、さまざまな口実を設けて、人生のタスクを回避しようとする事態を「人生の嘘」と呼びました。

 

これだけだと全然分かりにくいので、例を上げると。

Aさんが嫌いという感情は、Aさんが嫌いだからではなくAさんとの人間関係を回避したいがために嫌っている。(という場合がある)

恋人と別れる時も、「関係を終わらせたい」という目的があるから、嫌いになるのだそうだ。

 

これは性格の問題なんだろうけど、僕は人間関係が疎遠になることはあるけど、誰かを嫌いになったって記憶は一度もないな。

だからこういった例は全くピンと来なかったんだけど、そういう人間のほうが多いんだろう。

(自分にはブログの更新は避けるくせに、人間関係は避けないという特性があるのかもしれない)

 

アドラーが言うには善悪とか道徳じゃなくって、勇気の問題らしい。

先延ばしにするのは面倒だからではなく、勇気がないからか。

僕の経験から言うと、確かに大体あってる。

 

所有の心理学と使用の心理学と猫の話

 

所有の心理学というのはフロイト的な原因論のこと。

何が与えられているか、ということだ。

 

使用の心理学というのは、与えられた物の意味を決めるのは、自分という考え。

 

僕は朝にサイクリングやランニングをしていると、猫に会う時がある。

その猫は妙に人懐っこい猫で、突然足にしがみついてきたときは驚いたものだ。

抱き上げても嫌がらなかった。(犬と猫は抱いた時の柔らかさが全然違うことも知った)

 

一方で警戒心がやたら強い猫もいる。

よく見るとその猫は片耳がない。

他の猫と喧嘩をしたのか、何かの事故かわからないけど、とにかく片耳がないんだ。

過去にそういったことがあったら、猫には克服できない。

おそらくその猫は、一生対人(対猫?)関係に怯え続けるだろう。

 

人間はその猫に比べたら、大してトラウマの影響は受けない。

「Aがあったから必ずBになる」という脆弱な存在ではないはずだ。

レジリエンスっていう心の抵抗力があるからね。

人にもよるだろうけど、いつか克服できるはずだ。

 

まとめ

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  1. 競争をすると、他者や世界を敵だと感じるようになる。
  2. 人生のタスクを回避しても、同じように周りを敵だと感じるようになる。
  3. 人間は何かしらの理由を付けてタスクを回避しがちだ
  4. 愛のタスクには日本人の大半が躓いている
  5. 猫と違って人間は過去に全て決定されたりはしない

 

競争しないほうがいいよって内容以外は、今回もコンフォートゾーンチャレンジが大事であるという話になるみたいだ。

 

勇気を発揮することに、もっと慣れていく必要がある。

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