嫌われる勇気、アドラー心理学の話その3「承認欲求と対人関係」

 

syouninyokkyuu3章では、承認欲求を否定するということ。

自分と他者の課題を分離する対人関係のやり方。

本当の自由とはどういうことか、という流れになります。

 

承認欲求を否定する

 

アドラー心理学では、他者からの承認を求めることを否定します。

 

嫌われる勇気には、そう書いてある。

 

  1. 褒めてくれる人がいなければ適切な行動をしない
  2. 罰する人がいなければ不適切な行動を取る
  3. 他者の期待を満たすように生きると、他者の人生を生きることになる
  4. 相手の顔色を伺って生きるようになる

 

大体このようなことが書かれていました。

 

承認欲求について個人的に思うこと

 

承認欲求という言葉をみた瞬間、僕はSNSでずっと写真を上げたり自慢している人のことが思い浮かびました。

僕も小学生くらいのときはよく人に自慢していたりしていたんですが、生来目立ちたがりな性格ではなかったのか、今でもあまり自慢しません。

なので承認欲求というヤツ、自分には克服できているかなと思っていたのですが違いました。

 

評価されないと動かない。(褒めてくれる人がいなければ適切な行動をしない)

僕は昔から消極的なタイプだったんですが、この点は未だに全然拭えていません。

性格の問題とか生まれた家が裕福ではないからとか、他にも理由はあるのでしょう。

しかし「承認欲求が強いから」他人の視線や手がないと動かない。(動けない)

 

自発的な行動が足りないのは承認欲求のせいであったのか。

 

スポーツに例えると、人は練習するから上手になっていく。

評価されないと動かないというのは次の通り。

「君テニスうまいねー!!」と言われたから練習する。

意外と悪くなさそうですが、普通の人はテニスしないので、そもそも上手と言われることがない。

従ってテニスがうまくなることはないでしょう。

 

褒めてくれる人がいるから一生懸命するというのは、全然悪くはないんですが、何か新しい物を生み出す可能性は少ないでしょう。

とりあえず今までの僕の人生、承認欲求を求める生き方ではうまくいかなかったので、もう変えてみても良い頃だ。

 

課題の分離

 

課題の分離という手法は、アドラー心理学ならではの考え方だという話です。

確かに嫌われる勇気以外では、自分と他者の課題を分離するという手法は聞いたことがありません。

 

内容は簡単でおおまかな手順は次の通り

 

  1. 自分と他者の課題を区別する
  2. 他者の課題には踏み込まない
  3. 自分の課題には他者を踏み込ませない

 

アドラー心理学的には、この考えは対人関係の基本にして入り口なんだそうです。

そしてこれだけで対人関係の悩みは大幅に解消することができると。

対人関係のトラブルは、他者の課題に土足で上がり込む、または上がり込まれることによって引き起こされるからだってね。

 

自分を変えることができるのは自分だけであり、他の人をコントロールすることはできない。

不特定多数の人とプレイする対戦ゲームの上級者というのはこういった考え方をするので、僕自身かなり身についています。

 

具体的に言うと、足引っ張ったプレイをしているプレイヤーを見てイライラするのは自分の課題である。

彼が下手なのは彼の課題であるんだけど、それを見て心を乱すのは彼のせいではなく自分の未熟さ。

これに気づくと一気に上達します。

なるほどこれが、課題の分離という名前だったんですね。

 

ですが家族や恋人に対しても同じように、相手が全然希望通りに行動してくれなかったとしても、同じようにできるかってのは難しい。

人間どうでもいいことにストレスは感じない、逆は辛い。

 

ですが「人は人、自分は自分」という考えは悪くないでしょう。

人と自分を見比べて羨ましいと思う、そして惨めさを感じることをアノミー的っていうんですけど、そういう考えも起こりにくくなるので健康的で素晴らしい。

 

どうやって課題の分離を身につけるか

 

嫌われる勇気ではゴルディオスの結び目を断てと言っています。

 

哲人「あなたはアレクサンドロス大王という人物を知っていますか?」

青年「アレクサンドロス大王?ええ、世界史で習いましたが……」

哲人「紀元前4世紀に活躍したマケドニアの国王です。彼がペルシア領のリュディアに遠征したとき、神殿に戦車がまつってありました。戦車はかつての国王、ゴルディオスによって神殿の支柱に固く結びつけてあり、当地にはこの結び目を解いた者がアジアの王になるという伝説があったそうです。腕に覚えのある者どもが我こそはと挑み、誰にも解けなかった結び目が。さて、その結び目を前にしたアレクサンドロス大王はどうしたと思いますか?」

青年「なるほど、伝説の結び目を見事に解いて、やがてアジアの王になったのですね?」

哲人「いえ、違います。アレクサンドロス大王は、結び目が固いと見るや、短剣をとりだして一刀両断に断ち切ってしまったのです」

 

つまり、力技で強引に解決したという話。

卵の尻を潰して立たせた、コロンブスの卵という話にも似ていますね。

 

このようなことを常識へのアンチテーゼというらしいです。

原因論の否定、トラウマの否定、承認を求めない、課題の分離。

アドラー心理学とはそういうものであるようです。

 

ほんとうの自由とは

 

承認欲求というのは人間に刻まれた自然な欲望の1つである。

チヤホヤされるとか、良いことをして褒められるというのは、簡単に言うと人に好かれるということです。

つまり「承認欲求=人に好かれたい」

承認欲求という言葉だと病的なものすら感じますが、人に好かれたい気持ちのことだと理解すれば一気に可愛く感じます。

大昔は人に好かれないと生きていくのが大変だったらしいので、刻まれているのは仕方がないでしょう。

カントという哲学者はそういった欲望を傾向性と呼んだ。(ホメオスタシスは恒常性)

 

トラウマを否定するように、傾向性にあらがうのが自由であると。

 

アドラー心理学では、「全ての悩みは対人関係の悩み」という考えがあるので、つまり。

自由とは人に嫌われること。

承認されないかもしれない、というコストを支払っていかないと自由になれない。

オフェンスっていうのは中々難しいものですね。

 

まとめ

 

承認欲求を否定しないと、自由になれないという話でした。

ただ人間が元々持っている欲求を否定するというのは、並々ならないと思う。

犬猫が可愛いのは、見た目だけではなく喋らないからである。

というのが僕の自説だ。

人間の場合は何かしたり喋ると、好かれるか嫌われるかするので、課題の分離というのも深く身に着けないと自由になるのは難しいのだろう。

 

誰かが何かを言った時に、その発言に腹を立てるのは自分の課題である。

だから発言をすること自体は悪くない。(よっぽど反社会的なことでなければ)

 

心理学

Posted by 北川楓