嫌われる勇気、アドラー心理学の話その4-1「共同体感覚と自己中心的な人」

kyoudoutai

4章では、共同体感覚、自己中心的、縦と横の人間関係。

この辺りがキーワードとなります。

共同体感覚という言葉以外は、聞いただけでなんとなく理解できるのではないでしょうか?

 

では1番分かりにくいと思われる共同体感覚から説明していきましょう。

 

共同体感覚とは

 

  1. 他者を仲間だと見なす
  2. そこに「自分の居場所がある」と感じられること
  3. 幸福なる対人関係のあり方を考える、もっとも重要な指標

 

これが共同体感覚だと。

これに関しては嫌われる勇気を読むより、人間の行動と種の保存という論文を見ると非常に分かりやすいかと思われます。

人間は種族全体の繁栄に貢献すると、元気になっていく特性が遺伝子に刻まれているんだよ。

っていう内容が書かれています。

 

共同体感覚を原始時代の集落で例える

 

まず思いつくのは狩りの達人でしょう。

女性が採集した食べ物のほうが食料としての比重が大きかったようですが、肉のほうが美味しい。

なので村に獲物を持ち帰るたび、村のみんなが狂ったように男達を歓迎したというのは容易に想像できますね。

 

次に、獲物を持ち帰っても生で食べるわけにはいかない。

調理する人、そのための道具を作れる人、火を起こすのが得意な人、たくさん必要です。

(狩りの達人はそれらのことが得意と限らないし、そもそも疲れて寝ている可能性が高い)

 

狩りが成功した日は誰もがお互いに、「こいつらがいて良かった(他者を仲間だと見なす)」と「自分はみんなの役にたったな(自分の居場所がある)」と感じることになります。

 

自己中心的な人物とは

 

自己への執着が強い(自己中心的)タイプは大きく分けて3つ

 

  1. テンプレイメージの自己中心的な人
  2. 課題の分離ができていない人
  3. 承認欲求にとらわれている人

 

1について説明する必要はあまりないでしょう。

生物には多様性というものがあって、みんなが少しづつ違ってないと何か起こった時に脅威に対抗できません。

なのでパーツや性質が少しづつ違うということなのですが、他者に対して極めて献身的で親切な人もいれば、他人に貢献するくらいなら死んだほうがマシって人もいます。

 

当然自己中心的だと、共同体感覚は中々味わえないよという話です。

自己への執着を他者への関心に切り替えていく必要がある。

そうアドラー心理学では説いています。

 

2. 課題の分離ができていない人

 

課題の分離については

前回の嫌われる勇気、アドラー心理学の話その3「承認欲求と対人関係」に書いてあります。

 

つまり、課題の分離ができていない人=相手の課題に介入していく人という意味です。

彼らは何故そんなことをするのかというと、相手を自分より低く見ているかららしい。

悪意を持って人に介入するような人間は中々いませんので、おせっかいな人というのは善意によって介入しているはずなのですが、確かに低く見ているというのは気持ちのどこかにあるでしょう。

僕も結構おせっかいな人間だったのでよくわかります。

 

では相手を自分より低く見る人というのは、普段どういう対人関係のとらえかたをしているのか?

それは対人関係を縦でとらえているらしい。

 

誰かひとりとでも縦の関係を築いているとしたら、あなたは自分でもきづかないうちに、あらゆる対人関係を「縦」でとらえている

 

中々恐ろしい話ですね。

 

3. 承認欲求にとらわれている人

 

こういった人は

  1. 周りからの視線が気になる
  2. 周りからよく思われたい
  3. 周りの人間はどれだけ自分の承認欲求を満たしてくれるのか

 

こういった考えをしているのだと。

一見他者を気にしているようで、実際は「わたし」にしか関心がない。

どう見られているのか気にかける生き方は、自分にしか関心を持たない自己中心的なライフスタイルであると。

 

そのような自意識過剰な視点からは、この人に何を与えられるか?

といったような感情は生まれ得ない。

 

終わりに

 

書いていて思い出したことが1つ。

僕は今でも結構恥ずかしがり屋なのですが、幼稚園の時の学芸会で踊りを披露するというものがありました。

本番の時に恥ずかしくって動けなかったことがあったんですね。

練習の時には、ちゃんとできていたんだけど……

 

そんな状態になったのは自分1人だけだったので、これは遺伝子的に特別に自己への執着が強い性質が自分にあるということですよね。

心理学

Posted by 北川楓