
人に向かって「頭が悪い」といえば、悪口になる。
人に向かって「頭が良い」といえば、褒めたことになる。
IQは一般的に、身長やルックスや家柄と同じ。生まれ持った能力の1つで、高ければ高いほど人として優れていると考えられているようだ。
なのでインターネットに転がっている、ほとんどのIQテストは、誰でも130以上出るように作られている。
ウェクスラー式知能検査では平均IQは90–109で49.5%、IQ130以上は2.3%しかいないはずなのにだ。
IQ90は平均値なのだが、一般的な人が自分のIQが90だとわかったら、不快を通り越して悲しくなるような気がする。
僕のIQは130以上あって上位2.3%に入る。
そのため、IQに関することには詳しい。
長い間、自分が人より賢いということを誇らしく思っていたのだが、理解が深まるほど特に良いことはないように思える。
この記事では、次の内容を書いていく。
IQの低さがコンプレックスである、もしくはIQが高いことを密かな自慢としている人は是非読んでみて欲しい。
IQは生活環境で大きく変わる
当然、遺伝的な要因もあるが、IQは生活環境で大きく変わるとされている。
僕の場合は、なぜか家に図鑑がたくさんあって、毎日ちゃんと朝食が出て、子供の頃に大きな事件に遭遇しなかったのが大きい。
また、3人兄弟の末っ子だったので、父親にあまり怒られることもなかった(当たり前だけど母親は毎日怒る)。
子供の頃に平均以上のIQを出すには、次の3つが重要。
順番に説明してみよう。
読書習慣と学習能力は比例する
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小学校の時に本読みカードというものがあって、毎日家族に本を読み聞かせるというものがあった。
後でわかったが、ちゃんと毎日やっていたのは自分だけだったそうだ。
人生において一番やってて良かったと思っていることなので、子供がいる人は是非工夫してやらせてみて欲しい。
自分の場合、母親が「読んでくれ」と言って、読むと喜ぶから読んでいた。
子供にとって朝食の有無は大きい
大人はお腹が空けば、勝手に砂糖入りのコーヒーを飲む。
というかお腹が空いて無くても飲む、水以外飲まないほうがいいとわかっているのに飲んでしまう。
医者から「飲むな」と言われても飲む。
しかし小学生はお昼になるまで、食べられない。
朝食を取らない子供は、頭が良いとか悪いとかいうレベルではなく、話にならないのだそうだ。
ちなみにパンよりも米のほうが良いと、川島隆太教授は言っている。
心の声が大きいと集中できない
幼少期の家庭環境や容姿が極端に悪ければ、IQは低くなるとされている。
「不安やコンプレックスなんか誰にでもあるじゃないか」と思えるのだが、子供というのは信じられないほど活動的なのだ。
自分の場合、幼稚園に行く前に補助輪付きの自転車で近所を一周していた。
それを見た母はきっと、「この子は何か、持ってるねぇ……」と思ったに違いない。
もし出勤前に運動している大人がいたら、多分その人は職場で一番能力が高い人だ。
意識が高すぎる。
小学生は10分の休み時間でも校庭に出る。
教師は10分の休み時間は、次の授業の準備時間だと本気で思っている。
IQというのは同年齢を基準としているので、子供の頃に大人のようなためらいグセがついては、同年齢と差が付きすぎてしまうのだ。
「おとなしい」という言葉は、漢字だと「大人しい」と書く。
自身のIQが高いと思うと物事を学ばなくなる
IQが高ければ、学習の初期段階での理解が速い。
おかげで物覚えが良いと言われたり、人と会話する時に賢く見られやすく、とても有利である。
そのためIQが高いほど、頭が良いと褒められる機会が多いのだが、これには大きな問題がある。
自分が人よりも頭が良い、もっと賢く見せよう、そう思うようになってしまう。
それは非常に危険な考えだ。
褒める時には、頭の良さではなく努力を褒めると良いという話。
自分自身を褒める時にも気をつけていきたい。
天才の気分を味わう方法4つ
漫画に出てくる天才キャラクターは失敗をしない。
練習をしていないのに、人よりも上手にプレイする。
実際にそういうキャラクターは、人に好かれる(どうしても人間の本能らしい)。
というわけで、漫画の天才キャラクターの気分を味わえる方法を4つ紹介しよう。
つまり、自分のことを本気で賢いと思っているのであれば、これら4つに当てはまっている可能性が高い。
ほとんどのゲームは、1~4の要素すべて当てはまっている。
失敗すると人に嫌われると思ってしまう
努力せずに上手くできるのが天才の条件ならば、失敗すれば天才ではなくなってしまう。
しかし、よほど簡単なことじゃない限り、失敗しまくるのが当たり前なのだ。
IQが高い人は努力を嫌う
頭が良ければ、よりいっそう努力をしそうな気がするのだが、どうして努力をしなくなるのだろうか?
それは世間一般の認識が関係している。
頭が良いというのは才能で、どうしても生まれ持ったもの、固定的なものという見方が強い。
なので、 才能があると思われる正しい方法は、人の数倍努力をするけど努力は見せないということになる。
もっと簡単な方法がある。
新しい事に挑戦しないというものだ。
反復練習をするには熱意が必要
反復練習にも、良い練習と悪い練習がある。
脳は安定したパターンを好む。
同じことをずっとするのは、あまり考えずに済むし楽なのだ。
そして、失敗もしないので心地が良い。
逆に、様々なことをするのは、最初はうまくできないので居心地が悪い。
少しは楽しむこともできるだろうが、心地が悪い練習をするならば、別なことをしたほうが楽しい。
それに楽しくないことをするのには、かなりの熱意が必要である。
なので結果的に我々は、意識しなければ自分の得意なこと(楽なこと)ばかりするようになる。
知的スポーツのプロはIQが高いのか?
プロの囲碁やチェスプレイヤーというのは、IQが低い。
一般人の平均IQを100とすると、韓国の囲碁のプロの平均はIQ93だった。
特別低いわけではないが、囲碁やチェスのプロならば、平均IQ130くらいありそうなイメージがある。
それらの競技にIQが関係ない理由は簡単で、初心者のうちはIQが高いほど有利なのだけど、大事なのは練習時間と方法だからである。
IQが150あったとしても、何万パターンもある有効なイメージを瞬時に引き出せるプロに勝てるようになるには、数年単位の練習が必要。
冒頭でも書いたけど、僕はIQ130以上ある。
色々な対戦ゲームで役にたったが、せいぜい最初の1~10時間くらいの間で有利なだけ。
よほど運の要素が大きいゲームじゃない限り、始めたばかりのゲームで上級者に勝ったことは一度もない。
初心者がちょっとコツを掴んだ程度では、プロに全く歯が立たないのは当たり前なのである。
終わりに
IQが平均より高くても低くても、人より抜きん出るには、努力を惜しんではいけない。
学習や練習は仕組み的には、そうなっている。
IQの高さよりも、勤勉であるかどうかのほうがずっと重要。
それにもかかわらず、「頭が悪い」と言われて怒る人は多いが、「なまけもの」と言われて怒る人は少ない。
努力の重要性は、何故か人の意識には浸透していないようだ。