toggle
2017-04-06

頑張るという言葉を使わなくなったら凄く疲れにくくなった

スポンサードリンク

頑張らない

3月10日に最近凄く疲れるみたいな内容をブログに書いた記録がありました。

疲れたというから疲れるのではないかと、その時はそう考えていたのです。

もちろんそれは要因の一つとして大変正しかったのですが、自分の疲労の原因として一番大きかったのは。頑張るから疲れるっていう単純な仕組みでした。

 

僕の感覚でいうと、頑張る=困難なことを耐え忍んでするってことです。

人によって細かいイメージは違うはずですが、頑張るという言葉の感覚、一般的な基準からみても大きく違ってないはずです。

 

例えば「頑張ってラーメン食べるわ!!」という文章を読んだ場合、大食い大会を思い浮かべるでしょう?

普通の読解力とか感覚を持っている人ならば、そうなるはずです。間違いありません。

 

脳は頑張ると疲れるようにできているので、頑張らないようにする

 

正常な人間は朝起きるときに頑張って起きたりはしないし、夜早く寝ている僕も頑張って起きることがありません。

毎日嫌なことがあるとか、寝不足であるとか、そういった理由があるからこそ頑張らないと起きれない。

これは半分正しいですが半分間違っています。

 

嫌なことがあってなおかつ眠くっても何も考えずに起きる!!

これができるようになると疲れないんですよ。

書いてて思いましたが、嫌なこと&寝不足って大半の人がこの状態で起きている気がします。

 

僕もそうだったのでわかるんですが、朝起きるのが憂鬱だと、それだけで一日に使える意志力の10%くらいは削られるんですよね。

早寝するようになってから気持ちに余裕が出てきたのは、ここが大きいのかなと書いてて気づきました。

 

頑張るのがいい行為という一般的な認識が、人を頑張れなくしている

 

鬱病の人や、受験生に「頑張れ」というのが厳禁であることは、家で飼っているザリガニでも知っていますね。

彼らの共通点は、一般人より頑張っている人でしょう。

しかし、頑張りすぎが鬱病の原因であると知っておきながら、健康な人には「頑張れ」と言う。

この行為はさすがに、ライ麦畑の主人公じゃなくてもインチキ臭いと感じるんじゃないでしょうか。

 

お互いに頑張ろうとか、人に対して頑張れとかいう声掛け。

あれは決して悪意がないはずなんですが、そういう行為こそが人を生きにくくしているんですよね。

 

頑張って欲しいという善意が、最低な結果を生む。

こういった現象が世の中いろいろなところにありますね。

 

根性論よりも方法が大事な時代なのではないでしょうか?

 

今日もブログを書いている最中は集中していましたが、書き始めるときはやり慣れたゲームを起動するかのごとく、何も考えずに書き始めましたよ。

もちろん意識してそのようにしているので完全にできてはいませんけどね。

とりあえず表面的にでもそのように振る舞うと、頑張って書くという方法よりずっと負担が少ないです。

スポンサードリンク
関連記事