
自信があることや自分の力を信じられることを、自己肯定感とか自己効力感と言います。
呼び方はなんでも構いませんが、そういった感情を持っていたほうが、日々の生活を気分良く過ごせるのは間違いないでしょう。
この記事では歴史上の偉人や意識高い人が、自己肯定感を得ていた具体的な方法について書いていきます。
二重予定説とは?
二重予定説というのは、神によって最初から救われる者と救われない人が決まっているという説です。
キリスト教のカルヴァン派のプロテスタントに受け入れられていた考え方です(あんまり重要じゃないので気にしなくて良い)。
それにしても最初から決まっているとは、ずいぶん乱暴な説だと言えるでしょう。
自分が救われているかどうか
生まれた時から救われるかどうかが決まっているのであれば、努力は意味がないと思いませんか?
しかし当時の人達はどのように考えたかというと、自分が救われているかどうかが知りたかったようです。
どうやら次のような思考の流れだったようです。
たしかに誰かと二重予定説の話をすれば、「あいつは救われる予定なんだろうな」という話が出てくるに決まっています。
結局は予定説と言っても、凶悪な犯罪者が救われる予定と誰も思わなかったのです。
「神によって救われている人間が、そんなことするわけないだろう」と。
二者択一の行動基準は脳に優しい
人間にはスプリッティングという考え方の癖があります (ボーリングのスプリットと同じ意味) 。
反射的になんでも2つに分ける、という癖です。
敵か味方か、男か女か、食べられる物か食べられない物か。
こういう考え方は瞬時に判断できるので、大昔の野生生活ではとても役に立ちました。
なので、日々の行動基準もそのように決めれば良いのです。
自信が持てるかどうか?というのは結果をコントロールしやすい
とりあえず、何か二者択一の行動基準を考えてみましょう。
お金になるかならないか、人から良く思われるか思われないか、というのがパッと思いつきました。
ですが、ソレって結果をコントロールしにくいですよね?
得意や不得意というのはありますが、確実という言葉からは遥かに遠いでしょう。
人から良く思われるかどうかで確実に結果を出そうとする場合、極めて特定の行動に限られるでしょう。
これらのことを、成功か失敗か、完璧か完璧でないか、で考えるとせっかく実行しても結果が怪しくなります。
ですが、自信を得るかどうかで考えるとどうでしょう?
5分掃除しただけでも偉いと思えるはずです。
努力したぶんだけ、良くやったと自信がつきます。
自信を得たいという行動指針は自分を助ける
当時のカルヴァン派のプロテスタントは、お金持ちが多かったそうです。
1904年の書かれた本、プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神という有名な社会学の本に書いてありました。
救われれているかどうか確認するために(自信を付けるため)勤勉さを重視し、労働に力を入れた結果、お金持ちになったという話です。
ここらへんは本を読まなくてもWikipediaに書いてあります。
外部リンク>>>フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神
この方法は実践者が多く、情熱を持って努力をするための具体的な方法の1つであるのは確かでしょう。
「この行動は自信がつくだろうか?自信がなくなるだろうか?」という行動基準はとてもシンプルです、試してみる価値はありますね。
難しい本なので、解説書から読まないと内容がわかりません。
社会学の本ですが、哲学的な要素が強く読んでて楽しめると思います。
異世界ラノベ的な高揚感があります。
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